2007年2月2日金曜日

大型兵舎

第三海堡は、1921年(大正10年)の竣工まで、約30年掛けて首都防衛のため観音崎沖に建設された。大型兵舎や砲台などを備えていたが、僅か2年後の関東大震災で水没してしまった。船の航行安全に支障があるため、2000年(平成12年)から撤去工事が進められていた。それに伴い、海中から大型兵舎が引揚げられ、うみかぜ公園に移設、保存された。当時の最先端土木技術を垣間見ることができる貴重な歴史的遺産でもある。

大型兵舎諸元:幅19.5メートル、高さ5メートル、重さ約1200トン。2つの居室部分と連絡通路からなるコンクリート製の建物。壁面の一部はレンガ造り。

 

2007年2月1日木曜日

うみかぜ公園




平成町の誕生に伴い、1996年(平成8年)、海岸線に沿って「うみかぜ公園」がオープン。休日になると、バーベーキューや海つりを楽しむ大勢の市民で賑わう。東京湾唯一の自然島である「猿島」が直ぐ近くに見える。戦争中の要塞や砲台跡が残る無人島。公園からは小原台に建つ「防衛大学校」や大型船舶の入出港が頻繁な「横須賀新港」も望むことができる。

神奈川県立保健福祉大学


2003年(平成15年)4月1日、平成町1丁目に保健・医療・福祉の総合的人材を育成する大学として「神奈川県立保健福祉大学」が開校。看護学科・栄養学科・社会福祉学科・リハビリテーション学科の4学科で、総勢約880名の学生が学んでいる。2007年(平成19年)4月1日には、大学院研究科も併設。横須賀市では、防衛大学校、神奈川歯科大学に続いて3番目に開校した大学。県立大学駅前の道路を直進、国道16号線を渡って、さらに直進すると、徒歩約5分でキャンパスに到着する。施設全体を覆う大屋根の下には交流プラザが設けられ、日曜・祭日以外は一般市民にも開放されている。

平成町(よこすか海辺ニュータウン)誕生




1984年(昭和59年)、旧安浦港から猿島に向かって埋立て事業が開始され、8年後の1992年(平成4年)に祖造成が終了した。その間、1989年(平成元年)に新しい造成地に平成町の町名が付けられ、「よこすか海辺ニュータウン」が誕生した。旧安浦港の埋立地域に安浦記念会館が設立され、地域住民の自主活動センターとして幅広く活用されている(冠雪の旧安浦港、埋立風景、平成町誕生の写真は安浦記念会館内に展示中)。

2007年1月28日日曜日

安浦町の誕生

1923年(大正12年)に田戸浦沖の埋立地に安浦町が誕生した。安浦の町名は、埋立ての事業者であった安田保善社の「安」の字を冠したことに由来する。1924年(大正3年)には、安浦1、2、3丁目に分けられた。安浦町の埋立ては、当時としては大工事であったために残念ながら17名の尊い命が失われた。その霊を慰めるために、1925年(大正14年)に「安浦町埋地殉難者供養塔」が安浦公園内に建てられた。駅前の道路を直進し、国道16号線を渡って左側に進む。徒歩約5分で到着。安浦町が埋立てられる以前の護岸石垣が、今でも各所に点在して残っている。

安浦町埋地殉難者供養塔

大正時代の護岸石垣

2007年1月27日土曜日

赤門(横須賀風物百選、県立大学駅から徒歩5分)


県立大学駅を出て線路沿いの道路を横須賀中央駅方面に行き、聖徳寺坂の下を潜り抜けると、三浦氏の子孫と伝えられる永嶋家の赤門がある。門前の道路は江戸より浦賀に通じる重要な道路であった。大きな石柱の道標が当時の様子を物語っている。この辺りは、明治の末期までは海に面していた。

2007年1月23日火曜日

安浦町周辺(最寄り駅:県立大学駅)


横須賀市安浦町の最寄り駅は県立大学駅(京浜急行電鉄)である。
1930年(昭和5年)横須賀公郷駅として開業
1963年(昭和38年)京浜安浦駅に改称
1987年(昭和62年)京急安浦駅に改称
2004年(平成16年)県立大学駅に改称
「安浦町周辺の史跡・大学・公園等」
1.赤門
2.安浦町埋地殉難者供養塔
3.平成町誕生
4.神奈川県立保健福祉大学
5.うみかぜ公園
6.大型兵舎