2018年8月10日金曜日

2020年、浦賀奉行所開所300周年

享保5年(1720年)、江戸湾に出入りする船を取り締まるため、「海の関所」として浦賀奉行所が開所した。時代が進み、文化・文政(1804~1830)の頃になると、異国船が日本近海に度々出没するようになり、浦賀奉行所は、江戸を防備する海防最前線としての重要な役割も担うこととなった。
嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊(黒船)が、浦賀沖に初来航した。その時、浦賀奉行所は、2人の奉行(浦賀在勤:戸田氏栄、江戸在府:井戸弘道)、14騎の与力(中島三郎助、香山栄左衛門・・・)、74人の同心、2人の通詞(堀達之介、立石得十郎)の陣容であった。ペリー艦隊との初交渉に臨んだのは、与力・中島三郎助であった。通詞・堀達之介を伴い、「副奉行」と偽って旗艦「サスケハナ号」に乗艦した。幕府高官との交渉を望むペリー側に対し、今度は与力・香山栄左衛門が、2人の通詞・堀達之介と立石得十郎を伴い、自らを「浦賀奉行である」と偽って交渉に当たった。いずれも、臨機応変な対応力であった。
浦賀奉行所は、2020年、開所300周年を迎える。現在、奉行所を取り囲む堀の石垣と表門の前にかかっていた石橋の伊豆石が4~5枚あるだけで、当時の様子を偲ぶことはできない。「浦賀奉行所開所300周年」を迎えるに当たり、「浦賀奉行所復元協議会」が発足した。早期の復元が待ち遠しい。

江戸の見張り番 海の関所(浦賀奉行所と船番所)
「広報よこすか」平成30年8月号より転載
浦賀奉行所跡アクセスマップ
「広報よこすか」平成30年8月号より転載
黒船に乗って交渉、与力・ 中島三郎助がペリー艦隊と交渉
「広報よこすか」平成30年8月号より転載
浦賀奉行所模型(浦賀コミュニティーセンター分館)
浦賀奉行所跡
浦賀奉行所を取り囲む堀の石垣跡
船番所跡
船番所模型(浦賀コミュニティーセンター分館)
浦賀奉行・戸田伊豆守氏栄(ペリー記念館)
与力・中島三郎助(浦賀コミュニティーセンター分館資料より転載)
中島三郎助招魂碑(愛宕山公園)
与力・香山栄左衛門顕彰碑「昭洞香山君碑」(西叶神社境内)

2018年8月5日日曜日

「よこすか開国花火大会」

8月4日(土)、恒例の「よこすか開国花火大会」が行われ、5000発の花火がうみかぜ公園沖の東京湾海上に打ち上げられた。大輪が咲く度に、大勢の見物客から歓声と拍手が上がっていた。
ペリー提督が浦賀沖に初来航し、幕府に開国を迫ったのは、嘉永6年(1853年)のことであった。「よこすか開国花火大会」は、ペリー来航150周年の歴史の節目の年、2003年にスタートした人気の夏イベントである。

読売新聞報道(H30.8.5)
うみかぜ公園で撮影
うみかぜ公園で撮影