2016年10月29日土曜日

「日本遺産WEEK」―走水低砲台跡と猿島公園―

今日は「日本遺産WEEK」、最後の現地見学会です。家を出たのは8:30、帰宅は17:00、弁当持参の一日コースの見学会でした。
見学場所は、走水低砲台跡と猿島砲台跡の二か所でした。
「日本遺産WEEK」の期間中、普段は見ることのできない構成文化財が一般公開されました。幸運にも、全コースに参加することができ、貴重な体験をした一週間でした。

見学コース
1 集合場所:観音崎レストハウス(9:30)
2 徒歩移動:観音崎レストハウス→走水低砲台跡(旗山崎公園)(9:50→10:10)
3 走水低砲台跡見学(旗山崎公園)(10:10~11:10)
4 昼食:旗山崎公園(11:10~11:50)
5 バス移動:走水上町→横須賀中央(12:10→12:30)
6 徒歩移動:横須賀中央→三笠桟橋(12:30→12:50)
7 猿島航路:三笠桟橋→猿島桟橋(13:30→13:40)
8 猿島見学(13:40→15:20)
9 猿島航路:猿島桟橋→三笠桟橋(15:45→15:55)
10 三笠桟橋前で記念写真撮影、解散(16:10)

1 集合場所:観音崎レストハウス(9:30)

観音崎レストハウス案内図

受付立旗

2 徒歩移動:観音崎レストハウス→走水低砲台跡(旗山崎公園)(9:50→10:10)

道順:観音崎レストハウス走水低砲台跡(旗山崎公園)

浦賀航路を北航する大型LNGタンカー

東京湾海上交通センター

横須賀美術館前を通過

防衛大学校走水海上訓練所前通過
前方の旗山崎公園(御所ヶ崎岬)に、走水低砲台跡がある。
旗山崎公園の名前は、日本武尊が東征の際に御旗を立てた場所に由来している。公園先の岬に御所を構えたことから、岬全体は御所ヶ崎と呼ばれている。

3 走水低砲台跡見学(旗山崎公園)(10:10~11:10)
最初の見学は、旗山崎公園(御所ヶ崎岬)にある走水低砲台跡です。走水低砲台跡は、明治19年(1886年)に完成、終戦まで可動状態にあったため、砲座や弾薬庫、兵舎などほとんどの遺構が良好な状態で残されていた。

走水低砲台跡遺構図

走水低砲台跡入口柵門

弾薬庫と砲台跡

小隊長掩壕(左側:第二砲座、右側:第一砲座)

第四砲座跡(27㎝加農砲が据え付けられていた)

弾薬庫(内部から)

揚弾井(上部に滑車取付金具が残っていた)

兵舎(掩蔽部)

4 昼食:旗山崎公園(11:10~11:50)

5 バス移動:走水上町→横須賀中央(12:10→12:30)

6 徒歩移動:横須賀中央→三笠桟橋(12:30→12:50)

7 猿島航路:三笠桟橋→猿島桟橋(13:30→13:40)

三笠桟橋

猿島遊覧船

猿島が近付いてきました

猿島桟橋に到着

8 猿島見学(13:40→15:20)
二番目の見学は、東京湾に浮かぶ唯一の無人島、猿島の砲台跡です。猿島は、終戦まで旧陸・海軍の東京湾要塞として利用されていたため、貴重な歴史的建造物が数多く残されていた。

猿島砲台跡遺構配置図

猿島砲台跡地下構造物

海軍港碑

電気燈機関舎

弾薬庫

弾薬庫内部から

揚弾井(弾薬庫→砲台)

兵舎(掩蔽部)

隧道(愛のトンネル)入口
全長90m、幅4m、高さ4.3mの総レンガ造り、天井アーチ状

隧道(愛のトンネル)内
長い、暗いトンネル内をカップルで通ると、自然と腕を組み、
愛が育まれることから、「愛のトンネル」と呼ばれている。
左側に弾薬庫、棲息掩蔽部(兵舎)がある。

隧道(愛のトンネル)内から第一砲台に通じる階段

便所跡

木漏れ日が降り注ぐ遺構

第一砲台(27㎝加農砲)の台座取付金具跡

12.7㎝高角砲砲座跡

9 猿島航路:猿島桟橋→三笠桟橋(15:45→15:55)

横須賀市街地が近付いてきました(船内より)

10 三笠桟橋前で記念写真撮影、解散(16:10)

2016年10月27日木曜日

「日本遺産WEEK」―千代ケ崎砲台跡―

10月25日(火)、27日(木)の両日、千代ケ崎砲台跡(西浦賀)が初めて一般公開されました。両日とも、午前(9:30~12:00)と午後(14:00~16:30)の2回、計4回の見学会でした。募集定員は72名(各回18名×4回)でしたが、希望者が多く(約3倍)、抽選となりました。くじ運に恵まれ、27日(木)午後の見学会に当選しました。
千代ヶ崎砲台跡は、浦賀港の防衛や観音崎砲台の援助砲台として、1895年(明治28年)に完成しました。浦賀湾口南部の丘陵地に位置し、近くには浦賀燈明堂があります。榴弾砲の3砲座や、オランダ積みれんが造りの壁、弾薬庫・貯水所の地下施設など、何れも建設当時の様子が、破壊も無く、良好な形で残されていました。近代の軍事や建築技術の推移を理解する上で、貴重な建造物と言われています。千代ケ崎砲台は、海正面防御砲台(榴弾砲)と、陸正面防御砲台(加農砲、観測所)で構成されています。今回、海正面防御砲台跡だけが一般公開されました。陸正面防御砲台跡は、現在私有地内にあるため、残念ながら見学できませんでした。海・陸正面防御砲台跡の、一刻も早い常時公開を期待しながら、帰宅の途につきました。先達の知恵、思いが身に沁みた貴重な体験日でした。

この坂道の頂上に、千代ケ崎砲台跡があります。


千代ケ崎砲台跡遺構配置図

 千代ケ崎砲台跡入口柵門(普段は立入禁止)

 隧道入口

貯水所水汲み口

 兵舎の内部

 弾薬庫(カラーコーンの位置に揚弾井があった)

揚弾井の穴(弾薬庫→砲座)

高塁道(弾薬庫から砲座に通じる階段)

揚弾井の穴(砲座→弾薬庫)

砲座入口

 榴弾砲座(凹んだ部分は弾薬置場)

榴弾砲座側壁の伝声管配管孔
榴弾砲射手への射撃情報は、前方観測所から伝声管を通して音声で伝えられた。

榴弾砲座跡(遠方から第一砲座、第二砲座、第三砲座は埋められていた)

各砲座には、2門の28cm榴弾砲が設置されていた。

この先に陸正面防御砲台跡と観測所跡がある(現在私有地のため立入禁止)

海正面防御砲台跡から陸正面防御砲台跡に通じる隧道