2018年1月30日火曜日

ペリー提督「予言の碑」

横須賀商工会議所(平成町2)の玄関ホール正面に、ペリー提督「予言の碑」と、ペリー提督「日本遠征記(全3巻)」が展示されている。昨日、見学に行ってきた。
1853年(嘉永6年)、浦賀沖に初来航したペリー提督は、帰国後に記した「日本遠征記」の中で、「日本人は、将来機械工業の成功をめざす競争に、強力な競争者として加わるであろう。」と、予言していた。正に、的確な先見の明でもあった。

横須賀商工会議所

-説明文:横須賀商工会議所発行「ペリー提督予言の碑」より転載-
1 ペリー提督の来航1853年(嘉永6年)
ペリー提督

ペリー提督日本遠征艦隊

1853年(嘉永6年)7月8日、アメリカ合衆国東インド艦隊司令長官M.C.ペリー提督は、フィルモア大統領から対日交渉の全権を与えられ、最新鋭の2隻の蒸気船サスケハナ号とミシシッピー号、及び随伴の帆船2隻を率いて浦賀沖に来航した。ペリー提督は、終始、携えて来た大統領の親書を「直接日本最高の役人に手渡す」ことを主張した。幕府は、はじめて目にする蒸気船の成容に驚き、ペリー提督の強い態度に屈して、遂に7月14日、久里浜海岸に急ごしらえの応接所を設け、親書の受取りに応じた。ペリー提督一行は、アメリカ人としてはじめて日本の土を踏み、アメリカ合衆国大統領の親書を幕府側の代表、戸田伊豆守、井戸石見守に手渡し、日米の友好と通商を求め、当時活発に操業していたアメリカ捕鯨船の寄港のための港を開くよう要求した。はじめは、頑なに鎖国政策を押し通そうとした幕府も、欧米の最新の文化を目のあたりにし、時代の潮流には抗し切れず、遂に長い間の鎖国政策を転換して、翌1854年(嘉永7年)3月31日、再び来航したベリー提督との間で「日米和親条約(神奈川条約)」を結び下田、 函館の二港を開港した。日本は、世界に向けて自由通商貿易の第一歩を踏み出し、いわゆる「開国」を果した。その後の日本は、明治維新を経て、急速な近代化を成し遂げてゆく。

2 ペリー提督「日本遠征記(全3巻)」
ペリー提督がアメリカ合衆国議会に提出した日本遠征の公式報告書。ベリー自身の日記や、乗組士官達の日記や覚書を、提督の監修によリフランシス・L・ホークスが編集したものである。全3巻で、本文の報告書の他、江戸湾、下田港、函館港の測量図、採取した魚介類図、各地で観測した天体図など膨大な資料が付けられている。当時は、未だ写真がなかったので、W.ハイネ他の随行画家が、写生を行って記録した。まるで図鑑の様な精密な描写と、探検隊の様な情報収集力に驚かされる。1856年春に印刷にとりかかり、合衆国印刷局で数十冊を紙表紙仮綴にて出版したが、その後ワシントンで製本刊行された。

ペリー提督「日本遠征記(全3巻)」

3 ペリー提督「予言の碑」
実用的ならびに機械的分野の諸技術において、日本人は卓越した手先の器用さをもっている。彼らの使う道具の粗末さや、機械に関する彼らの不完全な知識を考えるとき、彼らの手作業の能力の完全さは驚くべきもののようだ。日本の手工業者たちは、世界のいずこの手工業者たちにも劣らず熟達しており、この国民の発明的能力が、もっと自由に発揮されるなら、日本人は、いつまでも最も成功している工業国民に遅れをとったままではいないであろう。他の諸国民が、なし遂げた物質的進歩の諸成果を学ぼうとする彼らの好奇心と、それらを自己の用途に適応させようとする敏速さは、もし今まで彼らを国民的な対外交流から孤立させている政府の排外政策が、もっと緩められるなら、彼らを問もなく世界で最も恵まれた国々と並ぶ水準にまで押し上げるであろう。ひとたび文明世界の過去及び現在の技能等を手に納めたら、日本人は、将来機械工業の成功をめざす競争に、強力な競争者として加わるであろう。 
-日本遠征記1856年版より-

ペリー提督「予言の碑」
下に置かれた石は、ペリー提督ゆかりの地ニューポート市からの寄贈

2018年1月29日月曜日

横須賀市民割2018

2月1日(木)~2月28日(水)の1ヶ月間、今年も「横須賀市民割2018」が実施される。記念艦「三笠」、無人島・猿島航路、YOKOSUKA軍港めぐりの料金が半額となる。また、多くの加盟店では、特別価格のサービスを提供している。
普段、余りにも身近過ぎて、見落とし勝ちだった横須賀の魅力が、再発見できる絶好の1ヶ月間でもある。

タウンニュース横須賀版(平成30年1月26日号)転載

2018年1月28日日曜日

武山不動院「初不動」

今日は1月28日(日)、「初不動」の日だ。三浦28不動尊霊場の一番札所、龍塚山武山不動院に参詣に行ってきた。武山方面行きの京急バスに乗り、一騎塚で下車、武山不動院(標高200m)までは徒歩で約40分、真冬にも関わらず、汗が滲み出る程の急勾配な山道(参道)が続いた。武山不動院は、初不動と日曜日が重なり、参詣までには、1時間待ちの混みようであった。「回向柱」に触れ、本尊「不動明王像」に繋がれた「善の綱」を握り締め、無病息災を祈願、おもてなしの甘酒をご馳走になって下山した。

京急「一騎塚」バス停

急な山道(参道)

参詣者の長蛇の列

「回向柱」と、本尊「不動明王像」に繋がれた「善の綱」

龍塚山武山不動院

本尊「不動明王像」

展望台から見た横須賀リサーチパーク(YRP)方面

2018年1月25日木曜日

48年ぶり寒気団襲来

日本列島には、25日、強い冬型の寒気団が流れ込み、東京都心では48年ぶりとなるー4℃を記録、横須賀市でも厳しい冷え込みの朝を迎えた(ー2℃)。寒い一日だったが、天気は快晴、湿度は低く、前日からの強風で都心上空のスモッグは流され、平成町の「うみかぜ公園」に行ってみると、50km先の東京スカイツリーが、はっきりとその姿を現していた。遠方から東京スカイツリーが眺望できるのは、乾いた、強い北風が吹き込む春先のこの頃(1~2月)が、一番適した時節のようだ。

平成町「うみかぜ公園広場」

東京湾唯一の無人島「猿島」(1.5㎞)

浦賀水道を南航するLNGタンカー「KNUTSEN OAS 284m」(4.5㎞)

「東京スカイツリー」(50㎞)

2018年1月22日月曜日

中島三郎助まつり

中島三郎助(1821年ー1869年)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣で、浦賀奉行所の与力であった。嘉永6年6月6日(1853年7月8日)、アメリカ合衆国マシュー・ペリー提督が率いる黒船が浦賀沖に初来航した際、副奉行と称して旗艦サスケハナ号に乗船、開国を迫る使節団の応対を務めた。その時、船体構造・搭載砲・蒸気機関を詳細に調査し、大型軍艦建造の必要性を幕府に願い出て、嘉永7年(1954年)、浦賀造船所(後の浦賀ドック)で日本初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造した。安政6年(1859年)、浦賀の長川を塞き止めて日本初のドライドックを完成、遣米使節に随行する「咸臨丸」の修理も行った。
三郎助は、長崎海軍伝習所(第1回生)で、勝海舟らと共に近代造船学を学んだ。
「第24回 中島三郎助まつり」は、日本人として初めて黒船に乗り込んだ浦賀奉行所与力「中島三郎助」の活躍と功績を称えるイベントである。

日 時 平成30年1月21日(日) 10:00~16:00
会 場 浦賀コミュニティセンター

読売新聞(平成30年1月22日号)報道

タウンニュース横須賀版(平成30年1月26日号)報道

会場(浦賀コミュニティーセンター)

パネルコーナー(2F)

ステージアトラクション(3F)

中島三郎助肖像画

中島三郎助鎮魂碑(西浦賀愛宕山公園)
明治2年(1869年)、戊辰戦争で二人の息子と共に函館で戦死した。

中島三郎助菩提寺、東林寺(東浦賀)

浦賀奉行所跡(西浦賀)
2020年、浦賀奉行所は、開所300周年を迎える。復元が待ち遠しい。

浦賀奉行所模型
(浦賀コミュニティセンター分館)

ペリー提督

日本人が描いたペリー像

黒船来航軍艦4隻ジオラマ
   蒸気船 旗艦:サスケハナ号(全長257フィート、2,450トン、大砲6門)
   蒸気船 ミシシッピー号(全長225フィート、1,692トン、大砲12門)
   帆 船 プリマス号(全長147フィート、989トン、大砲4門)
   帆 船 サラトガ号(全長150フィート、882トン、大砲4門)
(ペリー記念館)

中島三郎助が日本人で初めて乗船した黒船旗艦「サスケハナ号」模型
(浦賀コミュニティセンター分館)

新聞報道-浦賀沖「黒船」現る-横濱開港新聞(神奈川新聞)
嘉永6年6月9日(1853年)
(浦賀コミュニティセンター分館)

中島三郎助建造の日本初軍艦「鳳凰丸」模型
(浦賀コミュニティセンター分館)

日本で初めて太平洋を往復した「咸臨丸」模型
中島三郎助が浦賀造船所で修理
(浦賀コミュニティセンター分館)

浦賀ドック(ドライドック)
中島三郎助の意志を継ぎ、浦賀造船所は後に浦賀ドックとなり、一世紀以上に亘って約1000隻の艦船を造り続けてきた。平成15年(2003年)、役目を終えて閉鎖された。ドライドック等、貴重な文化財が数多く残されている。

2018年1月14日日曜日

日本遺産「鎮守府」を巡るスタンプラリー

平成28年4月25日、「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」が、日本遺産に認定された。
現在、4都市では、日本遺産「鎮守府」を巡る海軍さんの港まちスタンプラリーが実施中である。各都市のスタンプを集め応募すると、オリジナルグッズが当たる楽しみもある。

実施期間 2017年10月28日(土)~2018年3月11日(日)
応募締切 2018年3月12日(月)

旧軍港市日本遺産活用推進協議会刊行案内パンフレット転載
案内パンフレット表紙

日本遺産「鎮守府」解説文

各コンプリート賞

1 横須賀市スタンプラリー

2 呉市スタンプラリー

3 佐世保市スタンプラリー

4 舞鶴市スタンプラリー