2018年1月22日月曜日

中島三郎助まつり

中島三郎助(1821年ー1869年)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣で、浦賀奉行所の与力であった。嘉永6年6月6日(1853年7月8日)、アメリカ合衆国マシュー・ペリー提督が率いる黒船が浦賀沖に初来航した際、副奉行と称して旗艦サスケハナ号に乗船、開国を迫る使節団の応対を務めた。その時、船体構造・搭載砲・蒸気機関を詳細に調査し、大型軍艦建造の必要性を幕府に願い出て、嘉永7年(1954年)、浦賀造船所(後の浦賀ドック)で日本初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造した。安政6年(1859年)、浦賀の長川を塞き止めて日本初のドライドックを完成、遣米使節に随行する「咸臨丸」の修理も行った。
三郎助は、長崎海軍伝習所(第1回生)で、勝海舟らと共に近代造船学を学んだ。
「第24回 中島三郎助まつり」は、日本人として初めて黒船に乗り込んだ浦賀奉行所与力「中島三郎助」の活躍と功績を称えるイベントである。

日 時 平成30年1月21日(日) 10:00~16:00
会 場 浦賀コミュニティセンター

読売新聞(平成30年1月22日号)報道

タウンニュース横須賀版(平成30年1月26日号)報道

会場(浦賀コミュニティーセンター)

パネルコーナー(2F)

ステージアトラクション(3F)

中島三郎助肖像画

中島三郎助鎮魂碑(西浦賀愛宕山公園)
明治2年(1869年)、戊辰戦争で二人の息子と共に函館で戦死した。

中島三郎助菩提寺、東林寺(東浦賀)

浦賀奉行所跡(西浦賀)
2020年、浦賀奉行所は、開所300周年を迎える。復元が待ち遠しい。

浦賀奉行所模型
(浦賀コミュニティセンター分館)

ペリー提督

日本人が描いたペリー像

黒船来航軍艦4隻ジオラマ
   蒸気船 旗艦:サスケハナ号(全長257フィート、2,450トン、大砲6門)
   蒸気船 ミシシッピー号(全長225フィート、1,692トン、大砲12門)
   帆 船 プリマス号(全長147フィート、989トン、大砲4門)
   帆 船 サラトガ号(全長150フィート、882トン、大砲4門)
(ペリー記念館)

中島三郎助が日本人で初めて乗船した黒船旗艦「サスケハナ号」模型
(浦賀コミュニティセンター分館)

新聞報道-浦賀沖「黒船」現る-横濱開港新聞(神奈川新聞)
嘉永6年6月9日(1853年)
(浦賀コミュニティセンター分館)

中島三郎助建造の日本初軍艦「鳳凰丸」模型
(浦賀コミュニティセンター分館)

日本で初めて太平洋を往復した「咸臨丸」模型
中島三郎助が浦賀造船所で修理
(浦賀コミュニティセンター分館)

浦賀ドック(ドライドック)
中島三郎助の意志を継ぎ、浦賀造船所は後に浦賀ドックとなり、一世紀以上に亘って約1000隻の艦船を造り続けてきた。平成15年(2003年)、役目を終えて閉鎖された。ドライドック等、貴重な文化財が数多く残されている。

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