2016年11月7日月曜日

走水神社(御祭神:日本武尊・弟橘媛命)

先日、11月3日、「観音崎フェスタ」を見学した後、時間に余裕があったので、その帰路、近くにある走水神社に立ち寄ってきました。今日は、4日遅れの走水神社探訪記です。
走水神社は、12代景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)と、御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)の二柱がお祀りしてあります。景行天皇即位40年、東国の騒動を静めるため、景行天皇は日本武尊にその鎮定を命じました。日本武尊と弟橘媛命の一行は、焼津、厚木、鎌倉、逗子、葉山を通り、走水の地に到着、ここに御所を建てました(現在の御所ヶ崎、旗山崎とも言う)。この地において、日本武尊は、自分を慕ってくれた村人に冠を与えました。村人は、この冠を石櫃に納め、土中に埋めその上に社を建てました。この社が、走水神社の始まり、創建と言い伝えられています。日本武尊は、上総国へ渡ろうと船出した時、突風が吹き、海は荒れ狂い、船は波間に見え隠れ、進むも戻るもできず、転覆の危機にさらされました。この時、御后、弟橘媛命が、「このように海が荒れ狂うのは、海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて、私めが身代わりに海に入りましょう」と告げ、「さねさし 相模(さがむ)の小野(おぬ)に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも」と、御歌を残し海中に身を投じました。不思議なことに、たちどころに海は凪ぎ、風は静まり、日本武尊一行は、水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。以来、この地を水走る走水と呼ぶようになりました。数日後、海岸に弟橘媛命の櫛が流れつきました。村人は、御所ヶ崎に橘神社を建て、櫛を納め、弟橘媛命を祀りました。明治18年(1885年)、御所ヶ崎が軍用地になったため、橘神社は走水神社境内へ移され、走水神社に合祀されました。

「あわれ弟橘媛命 身を海に投じ 日本武尊を渡らせたまう」

走水神社ホームページ等参照

走水神社(横須賀風物百選)

境内案内図

走水神社

弟橘媛命の記念碑
碑 文
さねさし 相模(さがむ)の小野(おぬ)に 燃ゆる火の
火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも
通 釈
相模の野原で、燃えていた火の、その火の中に立って、
私の安否を気づかって、声をかけてくださったあなたよ~

日本武尊に由来する古代稲荷社(左から、諏訪神社、神明社、須賀神社)

御所ヶ崎(旗山崎公園)と走水
日本武尊が、東征の際、岬の先端に御所を構えたことから、岬全体は「御所ヶ崎」と呼ばれている。また、この地に、御旗を立てたことに由来して、「旗山崎」とも言われている。現在は、「旗山崎公園」となっている。「走水低砲台跡」は、この地にある。

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