2016年12月17日土曜日

横須賀開国史研究会シンポジウム「ペリー来航とその後の浦賀町」

12月17日(土)、13:00~16:00、ヨコスカ・ベイサイド・ポケットで、横須賀開国史研究会シンポジウム「ペリー来航とその後の浦賀町」が開催されました。会場は、大勢の参加者で賑わいました。受付カウンターで、「横須賀開国史研究会」の会員を募集中でした。入会手続きをして帰宅しました。入会費(年会費)は、1000円でした。
横須賀開国史研究会は、幕末、ペリー艦隊が浦賀に来航した記念の地である横須賀を中心に、主に幕末から明治にかけての三浦半島に関する歴史を学ぶ、講演会や講座などを開催している研究会とのことでした。

第1部「講演」 「ペリー来航とその後の浦賀町」
  講師 西川武臣(横浜開国資料館副館長)
ペリーの浦賀港来航(1853年)より7年前の1846年に、既に米国のビッドルが軍艦2隻で浦賀に来航していた。1850年、浦賀奉行所では、異国船に対抗できる大砲搭載船の建造を幕府に上申したが、財政困窮から実現できなかった。1853年の黒船来航で、日本初の様式軍艦「鳳凰丸」の建造が、浦賀奉行所の担当で建造されることになった。

第2部「パネルディスカッション」 「庶民から見たペリー来航」
  パネリスト
    齋藤純(元専修大学講師)
    田中葉子(東京都北区教育委員会文化財専門員)
    西川武臣(横浜開国資料館副館長)
  コーディネーター
    山本詔一(横須賀開国史研究会会長)
当時の瓦版に掲載されているペリー肖像画が、何枚か紹介された。中には、似ても似つかない肖像画もあった。当日配布された瓦版、応接の図は、当時の世相を知る上で貴重な史料であった。
また、ペリー初来航の様子を伝える狂歌、「太平の眠りをさま上喜撰 たった四杯で夜も寝られず」は、「明治時代になってから詠まれた狂歌である」との指摘もあったが、「ペリー来航時の直後に詠まれたことを実証する資料が発見された」との興味深い話もあった。

会場(ヨコスカ・ベイサイド・ポケット)

パネルディスカッションの様子

良く見慣れたペリー肖像画

瓦版のペリー肖像画

瓦版のペリー肖像画

瓦版のペリー肖像画

瓦版のペリー肖像画

瓦版 ペリー応接の図

瓦版 ペリー応接の図(注釈文付き)

横須賀開国史研究会シンポジウム配布史料、及び横浜開国資料館ホームページより転載

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