2018年7月21日土曜日

黒船来航絵巻「金海奇観」

嘉永7年(1854年)、ペリー艦隊が再び浦賀沖に姿を現し、神奈川宿沖の神奈川湊に停泊した。「金海奇観」は、ペリー艦隊が再来航した時の様子を描いた絵巻物で、「乾(けん)」、「坤(こん)」の二巻からなる。なお、「金海」とは「金川(神奈川)の海」の意であり、「乾」は空、「坤」は大地を表している。編者は、仙台藩の儒者・砲術家の大槻盤渓である。図は盤渓自筆を含め、多くを津山藩絵師鍬形赤子が描き、他に、関藍梁、高川文筌の筆が添えられている。「乾の巻」の題字は河田迪斎によるもので、跋として、磐渓がペリー艦隊の通訳である中国人羅森に贈った詩が添えられている。「坤の巻」の末尾には当時の事を詠んだ関藍梁の詩二首がある。
「乾の巻」と「坤の巻」には、図と詞書があり、「乾の巻」は17図、「坤の巻」は12図の構成となっている。
参考文献
1 岩下哲典:黒船来航絵巻「金海奇観」とその時代、開国史研究、第18号(2018)pp.26—57.
2 大槻磐渓編、鍬形赤子等画:金海奇観、乾坤二巻、早稲田大学図書館   
 http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/b08_a0230/

A ペリー艦隊再来航(神奈川宿沖の神奈川湊)
ペリー艦隊が再来航した神奈川宿沖の神奈川湊
神奈川宿は、東海道五十三次の3番目の宿場
Wikipediaより転載
以下の画像は、参考文献1、2より転載
B 乾(けん)の巻
「金海奇観」乾の巻
乾の巻の題字
金海奇観
嘉永甲寅三月書於金川寓舎
(かながわぐうしゃにおいてしょす)
屏浦河田興(河田迪再斎)
図1 神奈川湊に停泊中のペリー艦隊(全景)
図1-1~図1-3
図1-1 神奈川湊に停泊中のペリー艦隊(詳細図1/3)
手前の山は権現山、その左側は明石藩固めの場、半島の本牧の右側が横浜応接所
遠方の山並みは、左側から上総鹿野山、房州鋸山
図1-2 神奈川湊に停泊中のペリー艦隊(詳細図2/3)
手前は神奈川宿、明石藩固めの場
一~九の番号を付けて軍艦名等が記されている。
手前は神奈川宿、明石藩固めの場
図1-2の詞書(参考文献1より転載)
図1-3 神奈川湊に停泊中のペリー艦隊(詳細図3/3)
左側半島は潮田、子安村
図2 横浜応接所真景
甲寅三月上浣(上浣=月初め)
藍梁関研(関藍梁のこと)寫 於金川萬居 とある。
遠方に富士山が見える。
図3 横浜応接所
❶横浜上陸所 ➋バッテイラ ➌ペリー提督 ➍使節ペリー衛士 ❺松代家警護 ➏楽人 ❼貢献物置所 ❽玄関 ❾応接所 ❿幕府全権団 ⓫用人・警護人 ⓬ペリー一行 ⓭内座 ⓮幕府全権団 ⓯ペリー一行 ⓰火鉢・煙草盆・茶 ⓱浦賀与力(香山栄左衛門・中島三郎助) ⓲御賄御料理所
図4 ポーハタン号と星条旗
ポーハタン号、ペリー居此船とある。江戸湾到着後、旗艦はサスケハナ号からポーハタンに移された。星条旗の赤と白のストライブは13本で正しいが、星の数は30個で1個足りない。正確には31個のはず。
図5 ロシア船
何故か「金海奇観」にロシア船が描かれている。
図6 アメリカ蒸気フリゲート船、サスケハナ号
図7 マセドニアン号、フリゲート船、積載大砲120斤
図8 運送船、サプライ号
図9 バッテイラ(ボート)
図10-1 米軍兵士
左から楽人(音楽隊)、軍卒の長(伍長)、上官の者(指揮官)
図10-2 米軍兵士
左:エドヤルド・ヨーリング(29歳)、アムステルダム出身オランダ系アメリカ人
右:銃手号令官
図11 馬甲剣、幕府に献上された騎兵軍刀、全部で23振献上
図12 コルト拳銃
「嘉永甲寅(嘉永7年)2月28日神奈川駅の寓居において写す」とある。
大槻磐渓の筆
図13 解体図
図14 火薬入れ(ゴウヤク入れ)
図15 分解工具
図16 鉛玉製造器
図17 ボート砲
大槻盤渓の跋文
意味は、参考文献1(p.42)参照のこと
C 坤(こん)の巻
「金海奇観」坤の巻
図1 2月10日、ペリー艦隊横浜応接所上陸の様子(全景)
図1-1~図1-5(拡大図)
図1-1 横浜応接所に上陸するボート群の先頭
図1-2 連なるボート群
図1-3 ボート群の最後尾に司令官旗が見える。ペリーが乗ったボートである。
図1-4
図1-5
図2 2月22日、バンダリア号とサウザンプトン号が、下田港向けて出港(全景)
奥に描かれているのがバンダリア号とサウザンプトン号
図2-1~図2-3(拡大図)
図2-1 下田港に向けて出港するバンダリア号
図2-2 下田港に向けて出港する右奥のサウザンプトン号
図2-3
図3 2月26日、ブキャナン艦長指揮のサスケハナ号がアメリカに帰国(全景)
図3-1~図3-3(拡大図)
図3-1 米国に帰国するサスケハナ号
図3-2
図3-3
図4 ミシシッピ号、大槻磐渓の筆
図5 バッテイラ(ボート)
図6 ボート砲
図7-1 人物像、右側がペリー提督、左側が副将のアダムス
関藍梁が描いたものを鍬形赤子が補正
図7-2 人物像
右:ペリー提督、左:アダムス副将
高川森嶺(高川文筌)の筆
図7-3 人物像
左:テンスル司令官、右上:マセドニア艦長アフボット、右下:サスケハナ艦長ブキャナン
関藍梁が描いたものを鍬形赤子が補正
図7-4 人物像
左:ペリーの息子オリイルスト・ペリー、右:マセドニアン艦長アフボット
高川文筌の筆
図7-5 人物像
左:日本通詞ウイリアムス、右:オランダ通詞ホッテメン 
高川文筌の筆
図8 客車(ペリーからの贈り物)
図9 石炭車(ペリーからの贈り物)
図10 蒸気機関車(ペリーからの贈り物)
図11 線路(ペリーからの贈り物)
図12 雷電伝信機(ペリーからの贈り物)
郵政博物館に保管
関藍梁の跋文
意味は、参考文献1(p.53)参照のこと

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