2017年4月2日日曜日

青い目のサムライ「三浦按針」

三浦按針は、英国人で、本名はウイリアム・アダムズ(1564年-1620年)と言う。
1598年6月、33歳の時、オランダの東洋遠征探検艦隊の航海士として、5隻の船団でロッテルダム港を出航した。相次ぐ海難事故に遭遇、リーフデ号だけが残った。
1600年4月、豊後の臼杵に漂着、藩主太田一吉に救われた。
1600年5月、大阪城で大老徳川家康に謁見した。信任を得て、城地である江戸に招かれた。外交顧問として重用され、砲術・造船術・航海術などの西洋文明を伝えた。伊東で、日本初の洋式帆船も建造した。
慶長10年(1605年)、家康はアダムズの功績を称え、相州三浦郡逸見村に250石の領地を与えた。姓は三浦(三浦半島に因む)、名は按針(水先案内人の意)。三浦按針は、青い目のサムライとして、日本史上唯一の外国人領主となった。妻は、江戸日本橋大伝馬町の名主の娘であった。
元和6年(1620年)、按針は平戸で病死し、55年の生涯を閉じた。
按針の遺言により、按針の領地であった逸見の塚山公園に供養塔が建てられた。
大正12年(1923年)、国指定の史跡となった。
「按針のまち逸見を愛する会」は、「逸見の偉人、按針の遺徳を後世に伝えたい」と、「按針新聞」の発行や、按針セミナーの開催、按針NHK大河ドラマ化への要望など、幅広い活動を展開している。事務局は、三浦按針菩提寺「浄土寺内」にある。

三浦按針(ウイリアム・アダムズ)像
横須賀市自然・人文博物館所蔵

1 塚山公園・三浦按針供養塔コース
1-1 京急逸見駅コース
塚山公園(三浦按針供養塔)・浄土寺案内地図

塚山公園の逸見登山口

1-2 京急安針塚駅コース
塚山公園の安針塚登山口

2 塚山公園・三浦按針供養塔
塚山公園
「かながわ景勝50選」「かながわ花の名所100選」に選定

国の史跡・三浦按針供養塔(塚山公園)

三浦按針供養塔説明図(注1)

3 三浦按針菩提寺「浄土寺」・屋敷跡
三浦按針菩提寺「浄土寺」(西逸見町1-11)

鹿島神社(西逸見町2-70)
按針と妻ゆき、2人の子供が住んでいた屋敷はこの辺りにあった。

4 三浦按針ゆかりの品々(浄土寺所蔵)(注2)
三浦按針の念持佛

唄多羅葉

アダムズの書簡

打敷

5 青い目のサムライ「三浦按針の生涯」(注3)
5-1 三浦按針活躍の地
〇大分県臼杵市佐志生(リーフデ号の漂着)
〇大阪城(大老徳川家康に謁見)
〇静岡県伊東市(日本初洋式帆船建造)
〇江戸日本橋(現在の日本橋室町に屋敷を与えられる)
〇横須賀市逸見(家康より逸見村に250万石の領地、90戸の家来が与えられた。日本史上、唯一の外国人領主となった。)

5-2 アダムズ生誕の地 
ウィリアム・アダムズは、1564年、イングランド南東部のケント州ジリンガム(現メッドウェイ市)で生まれた。

5-3 アダムズの出航(1598年6月:33歳)
オランダの東洋遠征探検艦隊の航海士として、5隻の船団でロッテルダム港を出航。相次ぐ海難事故に遭遇、リーフデ号だけが残った。

5-4 リーフデ号漂着(1600年4月)
豊後の臼杵に漂着、藩主太田一吉に救われた。

5-5 大老家康に謁見(1600年5月)(リーフデ号、大阪・堺港へ回航)
家康の信任を得て、城地である江戸に招かれた。

5-6 リーフデ号の積荷目録(リーフデ号、江戸・浦賀へ回航)

5-7 江戸 日本橋
家康の外交顧問として重用され、日本橋に屋敷が与えられた。

5-8 日本初洋式帆船建造(1604年、伊東)
伊東で、80トン、120トンの日本初洋式帆船を建造した。

5-9 三浦郡逸見村の領主へ(1605年)
家康は、アダムズの功績を称え、相州三浦郡逸見村に250石の領地を与えた。三浦按針と名乗らせ、旗本侍とした。

5-10 元和6年4月24日(1620年5月16日)、平戸で死去した。55歳であった。

6 「按針のまち逸見を愛する会(事務局、浄土寺内)」の活動
「按針のまち逸見を愛する会」は、三浦按針こと、ウィリアム・アダムズにゆかりの逸見・安針塚の歴史や自然環境を大切にし、次代に継承すると共に、町の活性化・町おこしを願う人々の会である。
活動としては、三浦按針ゆかりの地(英メッドウェイ市・静岡伊東市・長崎平戸・日本橋なと)と交流をしながら、三浦按針の功績を伝え遺徳をしのびつつ、地域の文化に寄与するイベントの開催、「按針セミナー」の開講、「按針新聞」の発行などを行っている。
「按針のまち 逸見を愛する会」ホームページより抜粋
http://www.y-anjin.com

按針新聞(平成29年4月1日、第19号)

第1回「按針セミナー」開講案内チラシ

三浦按針と徳川家康NHK大河ドラマに(要望活動)

「按針398回忌法要」次第

7 ガリバーのモデルは「按針」だった!?
ガリバー伝説

ガリバー観音崎に上陸(観音崎フェスタ―)
(注1)・(注2)・(注3)画像は、「按針のまち逸見を愛する会」パンフレットより転載

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