日本遺産に認定された観音崎公園内にある砲台跡(北門第一砲台跡と三軒家砲台跡)の見学に出掛けてきました。園内には、砲台跡の他に、日本最初の洋式灯台である観音埼灯台、東京湾海上交通センター(東京マーチス)、戦没船員碑等があります。今日から9月。しかしながら、気温は上昇、真夏日となりました。観音崎公園は、浦賀水道に突き出た標高50m余の丘陵地帯に在り、シイ、タブの照葉樹林で覆われ、遊歩道には涼しい木漏れ日が降り注いでいました。見学後、展望園地隣のレストランマテリアで昼食、帰路につきました。
観音崎公園案内マップ
日本最初の洋式灯台、観音埼灯台
観音埼灯台入口
北門第一砲台跡説明板
北門第一砲台跡
ここ観音崎は、三浦半島の最東端にあり、東京湾を一望できることから、古くから東京湾防備の要塞地帯として使用されていました。この砲台は、明治13年6月5日着工、明治17年6月27日完成、半円系の2基の砲台が扇形に配置され、ここに口径24㎝の巨砲2門が海に向かって並び、両砲台はトンネルで通じており、地下には弾薬庫と兵員室などがありました。
浦賀水道通航船舶管制塔、東京湾海上交通センター(東京マーチス)
戦没船員碑
戦没船員の碑
第二次世界大戦や海難事故での犠牲となって海難で失われた、6万余人の船員の霊を慰め、かつ永遠の平和への願いを込めて設けられました。
高さ24メートルの白磁の大碑壁を中心に、天皇陛下御製碑、皇后陛下御歌碑のほか、かっての練習船の錨などを配し、太平洋を望む格好のモニュメントとなっています。
三軒家砲台跡(日本遺産構成文化財)
三軒家砲台地下庫跡(日本遺産構成文化財)
三軒家砲台跡
この砲台は、明治27年12月15日着工、明治29年12月20日完成の27加砲4門、12加砲2門の砲台で、原型に近い形で残されています。地下庫、見張所、井戸、便所等もありましたが、昭和9年8月20日廃止されました。
三軒家砲台地下庫跡(日本遺産構成文化財)
レストランマテリア(展望園地隣)
昼食ランチ
浦賀水道航路を望む(レストランマテリア店内から)
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