横須賀集客促進実行委員会(平成28年6月発行)パンフレットより転載
でかけよう!
日本遺産のまち 横須賀
風を感じる街 よこすか
認定名称
鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴
~日本近代化の躍動を体感できるまち~
認定日
平成28年4月25日
地域の歴史的魅力や特色を通して我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定します。
このストーリーを語る上で不可欠な、魅力ある有形・無形の様々な文化遺産を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外に戦略的に発信することによって地域の活性化を図ります。
日本遺産と世界遺産の違い
世界遺産は登録される文化財等の価値付けを行い、保護を担保することを目的としています。一方で、日本遺産は既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものでなく、地域に点在する遺産を「面」として発信することで、その地域の魅力ある特色をわかりやすく表現し、地域活性化への活用や文化財への理解を促進することを目的としています。
認定されたストーリーの概要
明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急務であった。このため、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築いた。静かな農漁村に人と先端技術を集積し、海軍諸機関と共に水道、鉄道などのインフラが急速に整備され、日本近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生した。百年を超えた今もなお現役で稼働する施設も多く、躍動した往時の姿を残す旧軍港四市は、どこか懐かしくも逞しく、今も訪れる人々を惹きつけてやまない。
横須賀の16の構成文化財群(A~D)
A 横須賀製鉄所・造船所にかかわる構成文化財(1~4)
1 「ヨコスカ製銕所」 「ヨコスカ造舩所」刻印レンガ
〔ストーリーの中の位置づけ〕
横須賀製鉄所創設にあたり所内で生産された国産最古級の赤れんが。フランスの規格による建築用れんがで、軍港界隈には木骨れんが造りの造船関連施設が立ち並んでいました。
2 スチームハンマー(旧横須賀製鉄所設置) ①0.5トン片持型 ②3トン門型
〔ストーリーの中の位置づけ〕
1865年の横須賀製鉄所創設と共にオランダから輸入した艦艇の建造・修理のための鍛造機械。以後の継続的な近代造船の第一歩を記す遺産で、3トン門型は平成8年まで約130年間稼働していた。
〔ストーリーの中の位置づけ〕
海軍の技術力に関する資料で、西洋の造船技術を日本人がどのように吸収し、表現したかを物語っています。横須賀造船所の技手が所蔵していたもので、呉港、佐世保港などの資料を含んでいます。
4 旧横須賀造船所第一号~第六号船渠(米海軍横須賀基地1号~6号ドック)
〔ストーリーの中の位置づけ〕
軍港の景観を特徴づける艦艇修理用のドライドック(船渠)。石造ドック(1~3号)からコンクリートドック(4~6号)へと技術の推移やドックの大型化=艦艇の巨艦化がわかります。
B 横須賀鎮守府にかかわる構成文化財(5~9)
5 旧横須賀鎮守府庁舎(米海軍横須賀基地C1建物)
〔ストーリーの中の位置づけ〕
第1海軍区を管轄した鎮守府の庁舎。関東大震災で被災したレンガ造の庁舎に代わり大正15年に建設された鉄骨造の2代目庁舎。海軍の技術力を証明する日本最初の耐震建築である。
6 旧横須賀鎮守府会議室・横須賀海軍艦船部庁舎(米海軍横須賀基地C2建物)
〔ストーリーの中の位置づけ〕
鎮守府の関連施設で、昭和9年建設の鉄骨造2階建て。震災後の建築として装飾性に富み、海軍の威信を感じます。正面入り口に「横須賀鎮守府会議室」と「横須賀海軍艦船部」の表札が今も残っています。
7 旧横須賀海軍工廠庁舎(米海軍横須賀基地B39建物)
〔ストーリーの中の位置づけ〕
海軍工廠の入り口に所在した庁舎。この建物もレンガ造に代わる2代目で、震災復興は4市の中でも横須賀市の特徴です。海軍の技術力を示す日本最初期の耐震建築(昭和2年建設)。
8 旧横須賀鎮守府司令長官舎(現、海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎)
〔ストーリーの中の位置づけ〕
歴代の鎮守府司令長官の官舎。東京湾を一望する丘の上に立つ。大正2年、桜井小太郎の設計で建設し、洋館と和館からなる当時の建築デザインの水準を示す建物です。
9 逸見波止場衛門
〔ストーリーの中の位置づけ〕
海軍の歴史と面影を伝える旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所。明治末から大正初期に建設された2棟の建物には、右門に「軍港逸見門」、左門に「逸見上陸場」の表示板が残っています。
C 東京湾要塞にかかわる構成文化財(10~12)
10 東京湾要塞跡 ①猿島砲台跡 ②千代ケ崎砲台跡
〔ストーリーの中の位置づけ〕
首都及び軍港を守る東京湾要塞(20の砲台・堡塁・海堡)のうちの2砲台。着工年が明治14年と明治25年で、11年の開きがある両砲台では、切り石やれんがの積み方、コンクリートの使用の有無など、建築技術の推移がわかります。
①観音崎第一砲台跡 ②三軒家砲台跡 ③走水低砲台跡
〔ストーリーの中の位置づけ〕
首都及び軍港を守る東京湾要塞のうち、東京湾口に位置する。観音崎第一砲台は、明治13年に起工、明治17年に竣工した西洋の築城技術による日本最初の砲台。時代の異なる砲台が東京湾防衛の歴史を解き明かします。
〔ストーリーの中の位置づけ〕
首都及び軍港を守る3基の海堡(人工島に火砲を設置した海上砲台)の一つ。関東大震災で水没した構造物を引き上げ市内2か所で展示。鉄筋コンクリートの採用など当時の建築技術の高さを示しています。
13 走水水源池 ①煉瓦造貯水池 ②鉄筋コンクリート造貯水池
〔ストーリーの中の位置づけ〕
軍港水道走水系統は、明治9年、横須賀造船所まで7㎞に土管を敷設したことから始まります。半原系統の整備に伴い、市民への給水に転換、水源池としては珍しく海を臨む低地にあります。
〔ストーリーの中の位置づけ〕
明治22年開通の横須賀線のトンネル。鉄道敷設当初のトンネル(中央)と複線化による大正期(右)、海軍施設への引き込み線用の昭和期(コンクリート造、左)の3本が並んでいます。全国一トンネルの多い横須賀を代表するトンネル景観です。
15 〔旧逸見浄水場〕
①緩速ろ過池調整室4棟 ②排水池入口2棟 ③ヴェンチュリ―メーター室
〔ストーリーの中の位置づけ〕
軍港水道半原系統は日露戦争後の水の安定供給のため明治45年に着工。軍港を見下ろす丘の上にあり、鉄筋コンクリート造の諸施設の中でも排水池入口は、白亜の塔として往時の姿を伝えています。
このストーリーを語る上で不可欠な、魅力ある有形・無形の様々な文化遺産を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外に戦略的に発信することによって地域の活性化を図ります。
日本遺産と世界遺産の違い
世界遺産は登録される文化財等の価値付けを行い、保護を担保することを目的としています。一方で、日本遺産は既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものでなく、地域に点在する遺産を「面」として発信することで、その地域の魅力ある特色をわかりやすく表現し、地域活性化への活用や文化財への理解を促進することを目的としています。
認定されたストーリーの概要
明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急務であった。このため、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築いた。静かな農漁村に人と先端技術を集積し、海軍諸機関と共に水道、鉄道などのインフラが急速に整備され、日本近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生した。百年を超えた今もなお現役で稼働する施設も多く、躍動した往時の姿を残す旧軍港四市は、どこか懐かしくも逞しく、今も訪れる人々を惹きつけてやまない。
横須賀の16の構成文化財群(A~D)
A 横須賀製鉄所・造船所にかかわる構成文化財(1~4)
1 「ヨコスカ製銕所」 「ヨコスカ造舩所」刻印レンガ
〔ストーリーの中の位置づけ〕
横須賀製鉄所創設にあたり所内で生産された国産最古級の赤れんが。フランスの規格による建築用れんがで、軍港界隈には木骨れんが造りの造船関連施設が立ち並んでいました。
〔ストーリーの中の位置づけ〕
1865年の横須賀製鉄所創設と共にオランダから輸入した艦艇の建造・修理のための鍛造機械。以後の継続的な近代造船の第一歩を記す遺産で、3トン門型は平成8年まで約130年間稼働していた。
3トン門型(ヴェルニー記念館より)
3 近代造船所建築図面資料〔ストーリーの中の位置づけ〕
海軍の技術力に関する資料で、西洋の造船技術を日本人がどのように吸収し、表現したかを物語っています。横須賀造船所の技手が所蔵していたもので、呉港、佐世保港などの資料を含んでいます。
4 旧横須賀造船所第一号~第六号船渠(米海軍横須賀基地1号~6号ドック)
〔ストーリーの中の位置づけ〕
軍港の景観を特徴づける艦艇修理用のドライドック(船渠)。石造ドック(1~3号)からコンクリートドック(4~6号)へと技術の推移やドックの大型化=艦艇の巨艦化がわかります。
B 横須賀鎮守府にかかわる構成文化財(5~9)
5 旧横須賀鎮守府庁舎(米海軍横須賀基地C1建物)
〔ストーリーの中の位置づけ〕
第1海軍区を管轄した鎮守府の庁舎。関東大震災で被災したレンガ造の庁舎に代わり大正15年に建設された鉄骨造の2代目庁舎。海軍の技術力を証明する日本最初の耐震建築である。
6 旧横須賀鎮守府会議室・横須賀海軍艦船部庁舎(米海軍横須賀基地C2建物)
〔ストーリーの中の位置づけ〕
鎮守府の関連施設で、昭和9年建設の鉄骨造2階建て。震災後の建築として装飾性に富み、海軍の威信を感じます。正面入り口に「横須賀鎮守府会議室」と「横須賀海軍艦船部」の表札が今も残っています。
7 旧横須賀海軍工廠庁舎(米海軍横須賀基地B39建物)
〔ストーリーの中の位置づけ〕
海軍工廠の入り口に所在した庁舎。この建物もレンガ造に代わる2代目で、震災復興は4市の中でも横須賀市の特徴です。海軍の技術力を示す日本最初期の耐震建築(昭和2年建設)。
8 旧横須賀鎮守府司令長官舎(現、海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎)
〔ストーリーの中の位置づけ〕
歴代の鎮守府司令長官の官舎。東京湾を一望する丘の上に立つ。大正2年、桜井小太郎の設計で建設し、洋館と和館からなる当時の建築デザインの水準を示す建物です。
9 逸見波止場衛門
〔ストーリーの中の位置づけ〕
海軍の歴史と面影を伝える旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所。明治末から大正初期に建設された2棟の建物には、右門に「軍港逸見門」、左門に「逸見上陸場」の表示板が残っています。
C 東京湾要塞にかかわる構成文化財(10~12)
10 東京湾要塞跡 ①猿島砲台跡 ②千代ケ崎砲台跡
〔ストーリーの中の位置づけ〕
首都及び軍港を守る東京湾要塞(20の砲台・堡塁・海堡)のうちの2砲台。着工年が明治14年と明治25年で、11年の開きがある両砲台では、切り石やれんがの積み方、コンクリートの使用の有無など、建築技術の推移がわかります。
千代ケ崎砲台跡(パンフレットより転載)
11 観音崎・走水地区の砲台跡①観音崎第一砲台跡 ②三軒家砲台跡 ③走水低砲台跡
〔ストーリーの中の位置づけ〕
首都及び軍港を守る東京湾要塞のうち、東京湾口に位置する。観音崎第一砲台は、明治13年に起工、明治17年に竣工した西洋の築城技術による日本最初の砲台。時代の異なる砲台が東京湾防衛の歴史を解き明かします。
走水砲台跡(パンフレットより転載)
12 東京湾第三海堡構造物(兵舎・観測所・探照灯・砲側庫)〔ストーリーの中の位置づけ〕
首都及び軍港を守る3基の海堡(人工島に火砲を設置した海上砲台)の一つ。関東大震災で水没した構造物を引き上げ市内2か所で展示。鉄筋コンクリートの採用など当時の建築技術の高さを示しています。
兵舎(うみかぜ公園内)
D 海軍水道と鉄道にかかわる構成文化財(13~16)13 走水水源池 ①煉瓦造貯水池 ②鉄筋コンクリート造貯水池
〔ストーリーの中の位置づけ〕
軍港水道走水系統は、明治9年、横須賀造船所まで7㎞に土管を敷設したことから始まります。半原系統の整備に伴い、市民への給水に転換、水源池としては珍しく海を臨む低地にあります。
明治41年 鉄筋コンクリート造貯水池(パンフレットより転載)
14 七釜(しっかま)トンネル〔ストーリーの中の位置づけ〕
明治22年開通の横須賀線のトンネル。鉄道敷設当初のトンネル(中央)と複線化による大正期(右)、海軍施設への引き込み線用の昭和期(コンクリート造、左)の3本が並んでいます。全国一トンネルの多い横須賀を代表するトンネル景観です。
①緩速ろ過池調整室4棟 ②排水池入口2棟 ③ヴェンチュリ―メーター室
〔ストーリーの中の位置づけ〕
軍港水道半原系統は日露戦争後の水の安定供給のため明治45年に着工。軍港を見下ろす丘の上にあり、鉄筋コンクリート造の諸施設の中でも排水池入口は、白亜の塔として往時の姿を伝えています。
排水池入口の棟(パンフレットより転載)
軍港とまちの発展を伝える絵図で、明治12年から明治39年までに刊行された当時の観光マップ。「横須賀軍港一覧繪圖」「横須賀明細弌覧図」など現在9版が確認されています。
16 横須賀港周辺の絵図
〔ストーリーの中の位置づけ〕
〔ストーリーの中の位置づけ〕
0 件のコメント:
コメントを投稿