2016年9月27日火曜日

ペリー上陸記念碑

1853年7月8日(嘉永6年)、ペリー提督が率いる4隻の黒船が浦賀沖に投錨。当時、鎖国を守っていた日本に開国を迫りました。同年7月14日、ペリーは幕府が用意した久里浜の応接所に上陸、江戸幕府に大統領フィルモアの親書を渡しました。翌年の1954年2月13日、ペリーは6隻の軍艦と3隻の輸送船で再度来港、開国を迫りました。約1ヶ月に亘る協議の末、幕府は開国を決め、1854年3月31日、日米和親条約が締結されました。この条約によって、日本は下田(静岡)と箱館(現在の函館、北海道)を開港し、鎖国体制は終焉しました。
1901年(明治34年)、米友協会の手によって、ぺりーが最初に上陸したゆかりの地、久里浜に、ペリー上陸記念碑が建立され、上陸日の7月14日に除幕式が行われました

ペリー上陸記念碑(久里浜、ペリー公園)
碑文「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」
初代内閣総理大臣  伊藤博文  筆

 記念碑建立趣意書

ペリーの日本航海航路

記念碑の裏側から、久里浜港方面を望む

ペリー記念館(久里浜、ペリー公園)
ペリー来航に関する歴史的資料や模型などを展示
当時の絵巻物や瓦版などから人々の驚きや動揺を知ることができる

黒船4隻のジオラマ(ペリー記念館より)

1853年にやって来た4隻の黒船(ペリー記念館より)

1853年初来港の黒船(軍艦4隻)
軍艦4隻
○蒸気船 サスケハナ号(全長257フィート、2,450トン、大砲6門)
○蒸気船 ミシシッピ号(全長225フィート、1,692トン、大砲12門)
〇帆 船 プリマス号(全長147フィート、989トン、大砲4門)
〇帆 船 サラトガ号(全長150フィート、882トン、大砲4門)

1854年再来港の黒船(軍艦6隻、輸送船3隻)
軍艦6隻
○蒸気船 サスケハナ号(再来港)
○蒸気船 ミシシッピ号(再来港)
〇帆 船 サラトガ号(再来港)
〇蒸気船 ポーハタン号
〇帆 船 マセドニアン号
〇帆 船 バンダリア号
輸送船3隻
〇帆 船 サウザンプトン号
〇帆 船 レキシントン号
〇帆 船 サプライ号 

ペリーの久里浜応接所上陸の様子(ペリー記念館より
1853年7月14日、江戸幕府は米大統領親書を受け取るため
久里浜に応接所を建てペリーを迎えた

ペリー提督胸像

戸田伊豆守
久里浜応接所でペリーと会い
アメリカ大統領の新書を受け取った日本側代表の浦賀奉行所役人

現在の久里浜港の様子

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