2016年9月30日金曜日

浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)

浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)2階には、浦賀奉行所の模型、浦賀奉行所与力・中島三郎助の資料、幕末の西浦賀の家並みの様子、ペリー艦隊旗艦「サスケハナ号」、我が国初の洋式大型軍艦「鳳凰丸」、浦賀港より出港し太平洋を初めて横断した軍艦「咸臨丸」の模型等が展示されている。
掲載の模型写真:「浦賀コミュニティセンター分館」で撮影

浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)のアクセス

浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)

展示室入口(2階)

浦賀奉行所模型

現在の浦賀奉行所跡

浦賀奉行所船番所模型
1721年(享保6年)から1872年(明治6年)まで、江戸へ出入りする全ての船の乗組員と積み荷の検査をする{船改め」を行い、江戸の経済を動かす程と言われた。

船番所跡から浦賀港を望む

船番所跡(現在のよこすか浦賀病院)

幕末の西浦賀の家並み

黒船艦隊旗艦「サスケハナ号」(全長78m、2,450トン、大砲6門)模型

浦賀奉行所与力 中島三郎助
浦賀コミュニティセンター別館(郷土資料館)資料より転載
1853年7月、ペリー艦隊が浦賀沖に来航した際副奉行と称して旗艦「サスケハナ号」に乗船し折衝に当たった。1854年、幕府の命により浦賀で我が国初の洋式大型軍艦「鳳凰丸」を建造した。

中島三郎助招魂碑(市内最古の公園、愛宕山公園山頂)

「鳳凰丸」(全長約36m、600トン、大砲10門)模型
1854年(嘉永7年)、浦賀で建造された我が国初の洋式大型軍艦
中島三郎助が、幕府より軍艦建造を命ぜられた。

「咸臨丸」(全長48.8m、620トン、大砲12門)模型
1860年(安政7年)2月10日、「咸臨丸」は、艦長の勝海舟らに率いられて浦賀港を出港、37日間の航海の後、サンフランシスコ湾頭に到着した。日本で初めて、太平洋を横断した軍艦である。

 咸臨丸出港の碑(愛宕山公園)

勝海舟断食の碑(東叶神社裏山)
咸臨丸でアメリカに渡る前に断食、航海の安全を祈願した場所

浦賀駅前通り商店街歩道に埋め込まれた「咸臨丸」パネル

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