2017年3月2日木曜日

日本海軍遺産めぐり「三笠・2術校・米海軍横須賀基地」

3月2日(木)、近代歴史遺産活用事業ツアー「あなたのタイムトラベラー 横須賀物語 拾六~日本海軍遺産めぐり 三笠・2術校・米海軍横須賀基地~」に参加してきました。
昨年4月、横須賀の16の歴史文化財が、日本遺産に認定されました。その内、1/4の文化財(旧横須賀鎮守府会議所・横須賀海軍艦船部庁舎、旧横須賀員鎮守府庁舎、旧横須賀海軍工廠庁舎)が米海軍横須賀基地内にあります。今日の米海軍基地内の見学コースには、日本遺産に認定された文化財が全て含まれていました。昼食は、2術校の厚生センター食堂で、元祖「よこすか海軍カレー」を賞味、楽しいツアーでした。

◎スケジュール
9:15 三笠公園管理事務所前 集合
9:30~10:30 三笠艦内見学
11:00~12:30 海上自衛隊第2術科学校見学
12:30~13:20 昼食(2術校、厚生センターで海軍カレー)
13:40 米海軍横須賀基地ウオンブルゲート(身分証明書書提示)
13:50~14:35 米海軍横須賀基地司令部、在日米海軍司令部見学
14:35~15:15 CPOクラブ(車中見学)、1号~3号ドック見学
15:25~15:25 4号、5号ドック(車中見学)
15:25~15:40 6号ドック(車中見学)
16:00 横須賀市役所北口玄関前 解散

◎見学場所
1 記念艦「三笠」
「三笠」は、日露戦争における連合艦隊旗艦として活躍した名艦である。英国ヴィッカース社で建造され、明治35年(1902年)5月18日、横須賀に到着した。 翌年12月、連合鑑隊が編成されると、その旗艦に選ばれた。明治38年(1905年)年5月の日本海海戦では、集中砲火を浴びながらも大活躍、輝かしい戦績を残した。凱旋して間もない9月、佐世保港内で火災が発生、沈没する大事故に見舞われた。第一線に戻ったのは、それから2年後であった。
大正12年(1923年)9月1日、11時58分32秒、関東大震災が発生した。三笠は、岸壁に衝突して大浸水、沈没を避けるために、海岸に着底させられた。そして、9月20日、帝国海軍から除籍となった。
ワシントン海軍軍縮条約に基づき、廃艦が決まっていた三笠は、解体される予定であったが、国民の間から保存運動が興り、大正14年(1925年)、記念艦としての保存が特別に認められ、横須賀に保存された。
第二次大戦後は、艦内にダンスホールや水族館が設置されるなど、見る影もなく荒廃した状態となった。この惨状を見て、アメリカやイギリスからも憂う声が上がり、再び復元保存運動が起こった。昭和36年(1961年)、復元が完了、往時の勇姿が蘇った。
現在、年間の来艦者は25万人、横須賀市の人気スポットとして、大勢の見学者が訪れている。

記念艦「三笠」

艦橋で指揮する東郷平八郎司令官

2 2術校(海上自衛隊第2術科学校)
海上自衛隊第2術科学校は、主として機関科関係、情報、外国語等の教育訓練を担当している。所在地は田浦である。田浦は、旧海軍水雷学校が創設された地であり、海上自衛隊が創設された地であり、また、戦後の海上自衛隊の専門教育が開始された地でもある。校内の海軍機関術参考室には、戦前の海軍機関学校、及び海軍艦艇の機関に関連する貴重な資料が、多数展示されていた。

海軍機関術参考資料室

資料室内部

旧海軍機関等学校の変遷
海軍機関学校は、現在の横須賀学院校内にあった。

文豪・芥川龍之介は、大正5年(1916年)12月1日から約2年4か月の間、
海軍機関学校で英語の嘱託教官として勤務していた。

「海上自衛隊発祥之地」記念碑

昼食は、厚生センター食堂で、本場の「海軍カレー」を賞味

3 米海軍横須賀基地
3-1 米海軍横須賀基地司令部
  (旧横須賀鎮守府会議所・横須賀海軍艦船部)
横須賀鎮守府の関連施設で、昭和9年建設の鉄骨造2階建て。正面入り口に「横須賀鎮守府会議室」と「横須賀海軍艦船部」の表札が今も残っている。現在は、米海軍横須賀基地司令部が使用している。平成28年4月、日本遺産に認定された。

3-2 在日米軍司令部
  (旧横須賀員鎮守府庁舎)
横須賀鎮守府の庁舎である。関東大震災で被災したレンガ造に代わる2代目の鉄骨造庁舎である。大正15年に建設された。現在は、在日米軍司令部が使用している。平成28年4月、日本遺産に認定された。

3-3 CPOクラブ(旧横須賀海軍工廠庁舎) 
海軍工廠の入り口に所在した横須賀海軍工廠庁舎である。この建物は、レンガ造りに代わる2代目で、昭和2年建設された。現在は、CPOクラブ(下士官クラブ)として使用されている。平成28年4月、日本遺産に認定された。

3-4 1~6号ドック(平成28年4月、日本遺産に認定された。)
(1)1号ドック(旧横須賀製鉄所第一船渠)
起工:慶応2年(1866年)~ 峻工:明治4年(1871年)
設計:ヴェルニー・フロラン 
(長さ)134.5m×(幅)29mX(深さ)9m 石造

(2)2号ドック(旧横須賀造船所第二船渠)
起工:明治13年(1880年)~竣工:明治17年(1884年)
設計:ジゥエット
(長さ)153mX(幅32m)X(深さ)11.5m  石造(推定) 

(3)3号ドック(旧横須賀造船所第三船渠)
起工:明治4年(1871年)~竣工:明治7年(1874年)
設計:ヴェルニー・フロラン
(長さ)94mX(幅)18mX(深さ)7.5m  石造

(4)4号ドック(旧横須賀海軍工廠第四船渠)
起工:明治34年(1901年)~竣工:明治38年(1905年)
(長さ)239mX(幅)38mX(深さ)13.5m コンクリート・石造 

(5)5号ドック(旧横須賀海軍工廠第五船渠) 
起工:明治44年(1911年)~竣工:大正5年(1916年)
(長さ)322m×(輻)50mX(深さ)15m コンクリート・石造

(6)6号ドック(旧横須賀海軍工廠第六船渠)
起工:昭和10年(1935年)~竣工:昭和15年(1940年)
(長さ)337mX(幅)61.5mX(深さ)18m 鉄筋コンクリート造(推定)
空母「信濃」:昭和19年(1944年)11月19日、6号ドックで竣工
僅か10日後、米潜水艦の攻撃を受けて沈没

原子力空母「ロナルド・レーガン」
12号バースに帰港中であった。

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