横須賀市民割2017が、2月1日から始まりました。6日、7日の両日、記念艦「三笠」の見学に出掛けてきました。入艦料は、通常の大人600円(シニア500円)が、市民割で300円に割引されていました。
「三笠」は、1905年(明治38年)5月27日の日本海海戦で、東郷平八郎司令長官が指揮する連合艦隊の旗艦として、対馬沖でロシアのバルチック艦隊を邀撃、圧倒的勝利を収めた名艦です。英国海軍の帆走戦列艦「ヴィクトリー」、アメリカ海軍の帆走フリゲート艦「コンスティチューション」と共に、世界三大記念艦に選ばれています。
年間の来艦者:約25万人
戦艦「三笠」の略年表(ウイキペディア参照)
1902年(明治35年)3月1日 英国ヴィッカース造船所で竣工
1905年(明治38年)5月27日~5月28日 日本海海戦で連合艦隊旗艦、連合艦隊長官・東郷平八郎大将
1905年(明治38年)9月11日 佐世保港内で爆発事故、沈没
1906年(明治39年) 浮揚・修理着工
1923年(大正12年) ワシントン軍縮条約によって廃艦が決定
1923年(大正12年)9月20日 除籍
1925年(大正14年) 記念艦として横須賀に保存することに閣議決定、(財)三笠保存会設立
1926年(大正15年)11月12日 三笠保存記念式挙行、名称は「記念艦三笠」
1945年(昭和20年) 連合国軍により接収、三笠保存会解散、その後荒廃
1958年(昭和33年) 三笠保存会が再設立され、復元募金開始
1959年(昭和34年) 復元整備工事が開始(1961年まで)
1961年(昭和36年)5月27日 記念艦三笠復元記念式挙行
1992年(平成4年) 世界船舶基金財団の海事遺産賞を受賞
1905年(明治38年)9月11日 佐世保港内で爆発事故、沈没
1906年(明治39年) 浮揚・修理着工
1923年(大正12年) ワシントン軍縮条約によって廃艦が決定
1923年(大正12年)9月20日 除籍
1925年(大正14年) 記念艦として横須賀に保存することに閣議決定、(財)三笠保存会設立
1926年(大正15年)11月12日 三笠保存記念式挙行、名称は「記念艦三笠」
1945年(昭和20年) 連合国軍により接収、三笠保存会解散、その後荒廃
1958年(昭和33年) 三笠保存会が再設立され、復元募金開始
1959年(昭和34年) 復元整備工事が開始(1961年まで)
1961年(昭和36年)5月27日 記念艦三笠復元記念式挙行
1992年(平成4年) 世界船舶基金財団の海事遺産賞を受賞
戦艦「三笠」の諸元
排水量:15,140トン
船体:鋼鉄
全長:122メートル
幅:23メートル
速力:18ノット
乗員:860名
主砲:30cm砲4門
副砲:15cm砲14門
補助砲:8cm砲20門
45cm魚雷発射管:4基
全長:122メートル
幅:23メートル
速力:18ノット
乗員:860名
主砲:30cm砲4門
副砲:15cm砲14門
補助砲:8cm砲20門
45cm魚雷発射管:4基
横須賀市民割2017ポスター
6日・7日の両日、記念館「三笠」見学
記念艦「三笠」パンフレットより転載
東郷平八郎司令長官銅像、記念艦「三笠」
「皇国の興廃此の一戦に在り」
記念艦「三笠」と猿島航路遊覧船
記念艦「三笠」の由来
太陽を浴びる記念艦「三笠」
旭日旗
メインマストのZ旗
日本海海戦で、旗艦「三笠」は、Z旗をマストに掲げ、東郷司令官の号令、「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」を全軍に伝えて士気を奮い立たせ、大勝利を収めることができました。現在では、この故事に因んで、「Z旗を掲げる」という慣用句として、「大成功を記する旗印」の意味で使用されています。
「三笠」艦首
副砲(15cm砲)と補助砲(8cm砲)
「三笠」艦尾
40口径30cm主砲(全4門)、砲身12m
30cm主砲弾
艦橋の羅針儀と伝声管
羅針儀
伝声管は、艦橋からの指令を、艦内に伝えるための金属製円管(音響管)です。
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